「今晩も平和があるように」ヨハネによる福音書 20章26節 ローズンゲン日々の聖句

今晩も平和があるように」

2026.4.12 伝道師 青木宗達

新約聖書 ヨハネによる福音書 20章26節
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

みなさんこんばんは。
夜も更けてまいりました。
ただいま、私の部屋の時計は、夜の21時半を回ったところです。

 今晩、ローズンゲン日々の聖句より与えられました聖書の箇所「みことば」は、イエス様の十字架の出来事から八日後のことです。
弟子たちは、ユダヤ人たちやローマの権力を恐れて、家の扉に鍵をかけて息を潜めていました。
当時の彼らは、師である主イエスを失った絶望と、自分たちも捕らえられるかもしれないという恐怖で、社会から孤立していたのです。

 しかし、その閉じられた家の扉の鍵も、彼らの心にかけられた鍵も、復活されたイエス様を拒むことはできませんでした。
イエス様は、閉ざされた扉の向こう、いわゆる外側で待つのではなく、彼らの「真ん中」に突如として立たれ、はっきりと現れました。
そして、彼らの不信仰を叱責するのではなく、「あなたがたに平和があるように」と語りかけられたのです。

 私自身、これまでの信仰生活の歩みを振り返ってみると、悲しみや失敗、人間関係などの幻滅から、心の扉に幾重にも鍵をかけて引きこもってしまう夜がありました。
「誰も私の本当の苦しみなど分かってくれない」。
そんな諦めかけていた時、イエス様は私が自分で鍵を開けて立ち直るのを待つのではなく、閉ざされた私の心の真ん中に、踏み込んで来てくださいました。

 神様の愛は、私たちがふさわしくなるのを待つのではなく、私たちが一番弱く、恐れているその場所に先回りして与えてくださるのです。
そして、「平和があるように」という主イエスの御声が、冷え切っていた私の心を内側から温め、再び立ち上がる力を与えてくれました。

 私たちが、どんな事情で心の戸を閉ざしていたとしても、イエス様はすでに、私たちのその痛みの真ん中に立っておられます。
今晩、わたしたちのために死に打ち勝たれた方の「平和」を、そのまま受け取り、そして平安の中で眠りにつきたいと思います。

一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
恐れから心の扉を閉ざしてしまう私のもとに、あなたから来てくださることを感謝します。
どうか今、私たちの真ん中に立ち、あなたの温かい平和で、私たちの心を満たし、静かな夜のひとときをお与えください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名により御前にお捧げいたします。
アーメン。

【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ヨハネ福音書(下)』(ヨルダン社)
・村上久『ヨハネの福音書』(いのちのことば社)
・ヘンリー・H・ハーレイ『聖書ハンドブック』(いのちのことば社)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・玉川直重『新約聖書ギリシャ語辞典』(キリスト新聞社)