「光が闇に勝つとき」
2026.3.11 伝道師 青木宗達
新約聖書 マタイによる福音書 8章16節
夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れてきた。イエスは言葉で霊どもを追い出し、病人を皆癒やされた。
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日あたえられました聖書の箇所は、協会共同訳聖書では「多くの病人を癒やす」という小見出しがつけられています。
本日の御言葉をより深く、豊かに味わうために、ぜひ8章14節から17節までをワンセットとして、読んでみることをオススメいたします。
一つの連続したストーリーとして読む。
それは、前後の文脈を捉えることにより、背景状況が立体的に見えてきて、この聖句が持つメッセージを多角的に受け取ることができます。
また、マルコ(1:29-34)やルカの福音書(4:38-41)にも同じ出来事が記されていますので、並行して読むことをオススメいたします。
さて、聖書には「夕方になると」と記されています。
これは当時のユダヤ社会のルールで、日没と共に安息日が終わり、人々はようやく病気で苦しむ家族や友人を動かして、イエス様のもとへ運ぶことができたからです。
1世紀当時の社会背景として、重い病や「悪霊に取りつかれる」といった苦しみは、神からの罰や呪いと結びつけられがちでした。
そのため、彼らは肉体の苦痛だけでなく、社会からも疎外されるという深い孤独の中にいたのです。
ここで「悪霊」という言葉が出てきます。
現代の社会には、残念ながら人々を不安に陥れるカルト宗教が蔓延っています。
ですから、クリスチャンではない方がこうした霊的な言葉を聞いたとき、警戒して距離を置きたくなる気持ちは、私自身も痛いほどよくわかります。
しかし私たちクリスチャンは、この世界には「神と悪魔」、すなわち「光と闇」という、目に見えない二元的な霊的現実があると理解しています。
当時の人々もまた、自らの力ではどうすることもできない、圧倒的な闇の力に縛られていました。
私がこの箇所を読むとき、いつも心が深く揺さぶられます。
それは、イエス様が社会的にも霊的にもボロボロになっていた人々を、誰一人として拒絶しなかったからです。
イエス様は、ただ御言葉によってその暗闇を打ち砕き、すべての人を癒やされました。
これは遠い昔の単なる奇跡話ではありません。
神様の絶対的な愛が、人間の「現実の泥臭い痛み」に直接触れ、全人的に回復させてくださったという事実なのです。
イエス様は、今も生きておられます。
わたしたちが今、心や体にどんな痛みや、言葉にできない「闇」を抱えていたとしても大丈夫です。
夕暮れに人々がすがるような思いでイエス様のもとに集まったように、わたしたちもそのありのままの姿で、主の御前に出てみたいと思います。
イエス様は、わたしたちの抱える暗闇に確かな光を灯してくださる、真の癒やし主だからです。
今日の聖句を心に覚え、安心して今日という一日を過ごしたいと思います。
一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちの抱える心身の痛みや暗闇を、すべてあなたにお委ねします。
真の癒やし主であるイエス様が、今日も私たちに触れ、温かい光と平安で包み込んでください。
イエス・キリストの御名により祈ります。
アーメン。












