「神が求められること」
2026.4.7 伝道師 青木宗達
旧約聖書 申命記10章18-19節
(主は)孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。
(新共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
昔、イスラエルの人々が新しい土地へ入る前、神様はリーダーのモーセを通してご自身の愛について語られました。
当時の社会では、頼るべきお父さんや夫を持たない「孤児(みなしご)」や「寡婦(かふ・やもめ)」は、社会の中で一番守られることがない弱い立場でした。
また、「寄留者(きりゅうしゃ)」とは、他国からやってきた身寄りのない人たち「移民」のことです。
かつて自分たちも外国(エジプト)で、奴隷として苦しんだイスラエルの人々に、神様は
「私が弱い者を守るように、あなたたちも彼らを愛しなさい」
と優しく語りかけられました。
今の社会を見渡すと、この御言葉は決して昔話ではありません。
聖書が語る「孤児や寡婦」は、経済的な苦しさや孤独の中で子育てに奮闘する「ひとり親家庭」の姿に重なります。
一人で仕事と家事の全てを背負い、誰にも弱音を吐けずにいるお母さんやお父さん。
そして、そのしわ寄せで寂しさを抱える子どもたち。
同時に、「移民」の方々の問題も私たちのすぐ身近にあります。
言葉や文化の壁の中で、冷たい視線を浴びて孤立している外国から来た方々。
ニュースの中だけでなく、私たちの町のコンビニや職場で、一生懸命に生きている彼ら彼女らがいます。
私自身も、こうした問題に心を痛めながらも、日々の忙しさにかまけて身近な隣人のSOSを見過ごしたり、自分と違う背景を持つ人に無意識に心の壁を作ってしまうことがあります。
「愛しなさい」と頭ではわかっていても、自分の生活を守りたい思いや、心の奥底にある偏見がどうしても邪魔をしてしまうのです。
では、このような弱さを抱える私たちに「神様が求められること」とは何でしょうか?
それは、歯を食いしばって立派な行いをしなさい、ということではありません。
人を愛しきれない自分の冷たい心、頑なな心を正直に神様の前に差し出し、新しく造り変えていただくことです。
イエス様ご自身も、この地上で徹底して弱い立場の人々に寄り添われた方です。
天の故郷を離れ、究極の寄留者として私たちのところへ来て、私たちのために十字架にかかってくださいました。
神様が私たちに求めておられるのは、まずこのイエス様の深い痛みと愛に、私たち自身が触れることです。
その大きすぎる愛を知る時、私たちの内側にある偏見や恐れの壁は少しずつ崩れ去っていきます。
わたしたちを満たしてくださるイエス様の温かい愛を覚え、違いを越えて隣人に微笑みかける、一日としていきたいと思います。
一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
わたしたちの頑なな心を新しくし、あなたの愛で満たしてください。
今日出会う、助けや友を必要としている身近な隣人に、心を向けることができますように。
この祈りをイエス・キリストの御名により、お祈りいたします。
アーメン。
【参考文献】
・ヘンリー・H・ハーレイ『聖書ハンドブック』(いのちのことば社)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『旧約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)





