「神の力に信頼して歩む」歴代誌 下 25章8節 ローズンゲン日々の聖句

2025.3.22 伝道師 青木宗達

旧約聖書 歴代誌 下 25章8節
助けることも、つまずかせることもできる力が神にはあるのです。
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日、与えられました聖書の箇所は、協会共同訳聖書では「ユダの王アマツヤ」という小見出しがついています。

 南ユダ王国の王であったアマツヤは、敵との戦いに勝つため、莫大な銀を支払って北イスラエルから十万人の屈強な傭兵を雇いました。
しかし、そこに神の人が現れて、「彼らを連れて行ってはならない。神の力のみに頼りなさい!」と警告します。
すでに支払った大金はどうなるのかと戸惑うアマツヤ王に、預言者は「神はそれ以上のものを与えることができる!」と告げました。
結果として王は、惜しみながらも自分の計画を手放し、神の助けによって勝利を得るのです。

 この物語を読むと、かつての過去の自分の姿を思い出して、胸の奥が少しチクリとします。
以前の私は、自分の力やお金、人脈という「傭兵」を必死にかき集めて、なんとか自分を守ろうと必死だったからです。
しかし、自分が固く握りしめていたものを手放し、神様に委ねる平安を知った今、本当の助けは自分の力みの中にはなかったのだと深く気付かされています。

 わかりやすい「たとえ話」で説明すると、子どもの頃の自転車の練習によく似ていると思います。

 親が後ろで荷台をしっかり支えてくれているのに、それを信じきれず、自分の足で地面を蹴る力ばかりに頼ってガチガチに力み、かえってバランスを崩して転んでしまう。

 神様が「私が支えているから大丈夫だよ!」と呼びかけておられるのに、自分の力でなんとかしようとする時、私たちはかえってつまずいてしまうのです。

 私たちが今、安心のために握りしめている「手放すのが惜しいもの」は何でしょうか。
本当に私たちを助け、生かす力は、十字架の上でご自身の命さえも手放し、父なる神様に完全に寄り頼まれたイエス・キリストの内にあります。

イエス様こそが、私たちの最大の助け主です。
自分の小さな計算や力みを手放し、この方の大きな御手にすっと身を委ねて、今日という一日を歩んでいきたいと思います。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
自分の力に頼ろうとしていた私を救い出し、委ねる平安を教えてくださったことを感謝します。
今日もイエス様の愛に信頼し、あなたの御手の中にすべてを委ねて歩むことができますように導いてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。
アーメン。