「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」ルカによる福音書23章42-43節 ローズンゲン日々の聖句

「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる

2026.4.11 伝道師 青木宗達

新約聖書 ルカによる福音書 23章42-43節
そして、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは、「よく言っておくが、あなたは今日 私と一緒に楽園にいる」と言われた。
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日の与えられました聖書箇所は、ゴルゴタの丘、またはカルバリの山で、イエス様が二人の罪人と共に十字架につけられた場面です。
この出来事は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書すべてに記される極めて重要な箇所であり、科学が発達した現代において、無神論の歴史学者や科学者でさえも「イエス・キリストの実在と十字架での処刑」は疑いようのない客観的な歴史的事実として認められています。

 当時、イエス様の周りには「神の子なら自分を救ってみろ!」と罵るローマ兵や群衆、そしてもう一人の罪人がいました。
しかし、隣の十字架にかけられた一人の罪人は自らの罪を悔い改め、「私を思い出してください」と心から懇願します。
イエス様は「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と即座に赦しを与えられました。

私は、ふと思うのです。
天国や天の御国との違いは何だろうかと。
今日の「楽園」とは、そうした概念を超越し、「神様のみもとに共に住まうことが許された状態」なのだと私は思います。

 人が死の直前に救われることを「天国泥棒」などと揶揄する声もありますが、私は決してそうは思いません。
病床での洗礼も本当に尊いものです。
罪人の心からの懺悔に対する「即時の赦し」これこそが神の愛なのです。

神様は常に私たちに救いのきっかけを与え、先に愛の手を差し伸べてくださっています。
その手を自ら握り返すかどうかが、私たちに委ねられた恵み深き選択なのです。

そして、あの時に「イエス様を罵った群衆の中」にも、後に必ずイエス様を受け入れた人がいると私は希望を持っています。

 現代に生きる私たちも、心に深く刻まれた十字架を仰ぎ見、「あなたと共に楽園へ行かせてください」と願いながら、神様から差し伸べられた手をそっと握り返し、応答していきたいと思います。

一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
あなたが先に差し伸べてくださった十字架の赦しと愛に感謝します。
どうか今日、私の心にも御手を触れ、あなたと共に歩む喜びに満たしてください。
この祈りを、主イエス・キリストの名によって祈ります。
アーメン。

讃美歌第二編 185番
カルバリ山の 十字架につき、
イエスは尊き 血潮を流し、
救いの道を ひらきたまえり、
主イエスの十字架 わがためなり。
十字架、十字架、
主イエスの十字架、わがためなり。

【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ルカ福音書』(ヨルダン社)
・矢内原忠雄『ルカ伝 下巻』(角川書店)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』(教文館)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)