「最後の晩餐」
2026.4.2 伝道師 青木宗達
新約聖書 マタイによる福音書 26章27-28節
また、杯を取り、感謝を献げて彼らに与え、言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である。」
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日は「洗足の木曜日」です。
約2000年前、ローマ帝国の支配下で不穏な空気が漂うエルサレムにて、イエス様は十字架にかかる前夜、弟子たちと過ぎ越しの食事を共にされました。
協会共同訳では「主の晩餐」と見出しがつけられているのですが、この夜の出来事は、今日まで現在進行形で脈々と受け継がれる私たちクリスチャン、キリスト者の信仰の象徴、「聖餐式」のルーツです。
「皆、この杯から飲みなさい。」
この短い言葉には、イエス様の底知れぬ愛が込められています。
身近な例えでお話しするなら、私たちが何か大きな失敗をして逃げるように家に帰った時、親が叱責する代わりに温かい夕食を用意し、「いいから、まず座って食べなさい」と迎えてくれるような、理屈を超えた圧倒的な赦しの食卓です。
私自身のこれまでの歩みを振り返り、キリスト教会での聖餐式にあずからせていただく時、自分の内なる弱さや至らなさに直面し、「私には、この聖なる食卓に着く資格などないのではないか」と心折れそうになることが何度もありました。
しかし、イエス様は「罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である」と語りかけます。
ご自身の命を犠牲にしてまで、こんな私たちを、ただ一方的な恵みによって招き入れてくださるのです。
「イエス・キリスト最後の晩餐」は、単なる過去の記念儀式ではありません。
今、この瞬間を生きる私たちが、イエス様の十字架の愛に触れ、新しく生きる力をいただく「命の糧」です。
私たちがどんなに不完全な状態であっても、イエス様はご自身の命の杯を差し出し、わたしたちを、いつも待っておられます。
今日、私たちがその招きにアーメンと応え、イエス様の深い愛にしっかりと繋がる恵みの一日となりますように覚えたいと思います。
一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
私の一切の罪と弱さを負い、命の杯を差し出してくださるイエス様の十字架の愛に感謝いたします。
どうか今日、あなたの限りない赦しで私の心を満たし、あなたと共に歩む力を与えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
【参考文献】
・岸義紘『マタイの福音書 新約聖書注解書シリーズ』(JTJ宣教神学校)
・『ジョン・ウェスレー説教53』(イムマヌエル綜合伝道団)
・ヘンリー・H・ハーレイ『聖書ハンドブック』(いのちのことば社)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『旧約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)












