「良い種を蒔く」ガラテヤの信徒への手紙 6章8節 ローズンゲン日々の聖句

「良い種を蒔く」

2025.3.27 伝道師 青木宗達

新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 6章8節
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日、与えられました聖書の箇所は、協会共同訳では『互いに重荷を担いなさい』という小見出しがついています。

 聖書を読むとき、前後の文脈を大切にすることはとても重要です。
今日の8節は、直前の7節「人は自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」という大切な原則の具体的な説明になっています。

現代訳であるリビングバイブルはこの8節を分かりやすく訳しています。

  「自分の欲望を満足させるために種をまく者は、その結果、霊的な滅びと死とを刈り取るはめになります。しかし、聖霊の良い種をまく者は、聖霊が与えてくださる永遠のいのちを刈り取ります。」(いのちのことば社リビングバイブル)

 何を蒔くかが、何を刈り取るかを決める。
これは、ベランダのプランターでの植物作りに似ていると思います。
自分の思い通りにしたいという「自己中心の種」を蒔けば、やがて人間関係の摩擦や虚しさという雑草に覆われます。
一方、神様を愛し隣人を思いやる「聖霊の良い種」を蒔くなら、そこには平安や喜びが豊かに実るのです。

 しかし正直なところ、わたしたち自身、日々の忙しさやストレスの中でつい自分の感情を優先してしまい、「あんなこと言わなければよかった!」と後悔することが多々あります。
自分の決心や努力だけで、いつも「良い種」を蒔き続けるのは本当に限界があるのです。

 だからこそ、私たちは自分の弱さを認め、イエス・キリストを見上げるのです。
イエス様は、ご自身の命という最高の愛の種を、十字架の上で惜しみなく蒔いてくださいました。
その計り知れない恵みを受け取るとき、私たちの内に聖霊が働き、自分の力ではなく神様の力によって、少しずつ愛の人へと造り変えてくださるのです。
途中で失敗しても大丈夫なのです。
私たちの弱さを知るイエス様の手を握り直し、今日、身近な家族や友人に「ありがとう」という一つの優しい言葉の種を一緒に蒔いていけたらとおもいます。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
つい自分の思いを優先する私を懺悔いたします。
どうか、聖霊で私たちを満たし、日々、小さな愛の種を蒔く力をお与えてください。
主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。

【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ガラテヤ・エペソ』(ヨルダン社)
・シュラッター『新約聖書講解9』(新教出版社)
・『新共同訳 新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『ジョン・ウェスレー説教53』(イムマヌエル綜合伝道団)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)