「憐れみから始まる救い」テトスへの手紙3章4-5節 ローズンゲン日々の聖句

「憐れみから始まる救い」

2025.12.21 伝道師 青木宗達

新約聖書 テトスへの手紙3章4-5節

しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたとき、神は、私たちがなした義の行いによってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。
(協会共同訳)

わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました御言葉は【新約聖書 テトスへの手紙3章4-5節】です。

この【テトスへの手紙3章4-5節】で語られているのは「神の慈しみと人間に対する愛が、ある時点で明確に現れた」という出来事です。
それは、人間が努力を積み重ね、義を成し遂げた結果として起こったことではありません。
むしろ、私たちが自分の力ではどうすることもできない現実の中にあったとき、神ご自身の憐れみが先立って差し出されたのです。

私たちはつい、「もっと正しく生きられたら」「信仰が成熟したら」と条件を整えようとします。
しかし聖書は、救いの出発点が常に神の側にあることをはっきりと示します。
私たちの行いが救いを生み出すのではなく、神の憐れみが私たちを新しく生かすのです。
この順序が逆転すると、信仰は重荷となり、神との関係は不安定なものになってしまいます。

この神の慈しみと愛が具体的なかたちを取って現れたのが、イエス・キリストです。
イエス様は、立派な人や完成された人のもとではなく、弱さや迷いを抱えた人々のただ中に来られました。
そこで示されたのは、裁きではなく、共に歩み、回復へと導く愛でした。
私たちがまだ整っていないその時に、神はすでに近づいておられたのです。

この憐れみに触れ続けるとき、私たちの内側は少しずつ変えられていきます。
良い行いは救いの条件ではなく、与えられた恵みへの応答として生まれてくるものです。
今日もイエス様は、私たちの歩みの途中に立ち、変えられる可能性を信じて招いておられます。
その招きに信頼して、今日も一歩を踏み出していきましょう。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちの行いによらず、憐れみによって救ってくださったことを感謝します。
今日もイエス様の愛に信頼し、その恵みに応答して歩むことができますように。
主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。

那須ステンドグラス美術館にて。