「平和を造る者の幸い」
2025.12.31 伝道師 青木宗達
新約聖書 マタイによる福音書 5章9節
平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
(新共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
みなさま、本年も残すところ、今日一日となりました。
2025年11月より「ローズンゲン日々の聖句」を通して、ささやかながらメッセージを毎日お届けしてまいりました。拙い文章ではありましたが、日々お読みくださったことを心より感謝申し上げます。
来る新しい年も、みことばに聴きつつ、引き続きメッセージを更新してまいります。
どうぞ変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。
さて、今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました聖句は【新約聖書 マタイによる福音書 5章9節】です。
「平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」
イエス様のこの言葉は、単に争いを避け、穏やかに生きることを勧めているのではありません。
「平和を造る」とは、何もないところから平和を生み出す、能動的な歩みを指しています。
そこには、痛みや分断、対立の現実と向き合う覚悟が伴います。
私たちの世界は、表面的には静かであっても、心の奥に怒りや不安、諦めを抱えたまま生きている人々で満ちています。
その中で平和を造るとは、自分の正しさを押し通すことではなく、相手の尊厳を守り、関係の回復を願って一歩を踏み出すことです。
それは時に、忍耐を要し、損をするように思える道でもあります。
しかし、神様はそのような歩みを「幸い」と呼ばれます。
なぜなら、平和を造ろうとする者は、神様ご自身のあり方をこの地上で映し出しているからです。
神様は、壊れた人間関係や神との断絶を、そのままにされませんでした。
ご自分の側から近づき、和解の道を備えてくださいました。
その完全な姿が、イエス様です。
イエス様は、十字架において敵意と隔ての壁を引き受け、神様と私たち、そして人と人とを結び直してくださいました。
私たちが平和を造る者として歩むことができるのは、すでにイエス様が平和そのものとして、私たちのただ中に来てくださったからなのです。
新しく来る年2026年も、イエス様に全てを委ねて共に歩んで行こうではありませんか!
お祈りいたします。
天の父なる神様。
この一年も、あなたのみことばによって私たちを導いてくださったことを感謝いたします。
新しい年も、イエス様に目を向け、平和を造る者として歩むことができますように。
すべてを御手にお委ねして、主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。












