「起きて、歩き出す信仰」ヨハネの福音書5章7-8節 ローズンゲン日々の聖句

「起きて、歩き出す信仰」

2026.1.4 伝道師 青木宗達

新約聖書 ヨハネの福音書5章7-8節
病人は答えた。「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人はいません。私が行く間に、ほかの人たちが先に降りてしまうのです。」イエスは言われた。「起きて、床を担いで歩きなさい。」
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日の聖書箇所は、ベトザタ(新改訳2017ではベテスダ)の池での出来事です。
ここには、長い間病を抱えた人々が集まっていました。
人々は、水が動いたときに最初に入れば癒やされると信じ、希望をもって待っていたのです。
しかし、病人の口から出た言葉は、とても切実だったのです。
「私を池に入れてくれる人はいません」。
彼は癒やしを願いながらも、誰にも助けてもらえず、ただ時間だけが過ぎていきました。

 私たちも、この「みじめな病人の姿」に自分を重ねることがあるのではないでしょうか。
助けを求めているのに、誰にも気づいてもらえないこと。
良くなりたいと願っているのに、状況は変わらないこと。
そのような中で、ただ待ち続けてしまうことがあります。

 イエス様は、その人に近づき、「起きて、床を担いで歩きなさい」。と語られました。
「起きて、床を担いで歩きなさい」とは、弱さや過去を消し去るのではなく、それらを抱えたまま、イエス様の言葉に信頼して新しい歩みへ踏み出す招きのことです。

 イエス様は池の水に入るようには言われなかったのです。
癒やしの力は、場所や条件にあるのではなく、イエス様ご自身にあるからです。
この出来事は安息日に起こりました。
安息日は、何もしない日ではなく、本来、命が回復し、神様の恵みを受け取る日です。
イエス様は、その本当の意味を行動によって示されたのです。

 イエス様の言葉を受けたとき、病人は立ち上がり、歩き出しました。
ここに、信仰の第一歩があります。
完全に理解してからではなく、イエス様の言葉に応えて動き出すところに、新しい道が開かれるのです。

 今日、私たちの人生にも、イエス様は語りかけておられます。
「起きなさい」と。
自分の力ではなく、イエス様の言葉によって歩み始めるとき、私たちは癒やしと希望を与えられます。
主の声に信頼し、今日も共に一歩を踏み出してまいりましょう。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちの弱さと孤独を知り、語りかけてくださる恵みを感謝いたします。
イエス様の言葉に信頼し、今日の歩みを一歩ずつ始めることができますように。
主イエスキリストの御名によりお祈りいたします。
アーメン。