「憐れみによって造り変えられる私たち」テモテへの手紙一 1章15-16節 ローズンゲン日々の聖句

「憐れみによって造り変えられる私たち」

2025.12.8 伝道師 青木宗達

新約聖書 テモテへの手紙一 1章15-16節

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。 しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。
(新共同訳)

わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました御言葉は【新約聖書 テモテへの手紙一 1章15-16節】です。

今日の御言葉は、「イエス・キリストは、罪人を救うために来られた」という、とても大切なメッセージです。
使徒パウロは、自分を「私は罪人の中で一番の者」と語ります。

「私は罪人の中で一番の者です」と語るのには深い理由があります。
彼はかつて、主イエスを信じる人々を迫害し、教会を壊す側にいました。
自分の正しさに固執し、周りの人々を深く傷つけてしまったのです。
しかし、そのさなかで復活のイエス様が彼に出会い、人生の方向を根底から変えてくださいました。

だからこそパウロは、過去を隠さずにこう語ります。
「私は壊れた器のようでした」と。
けれど神さまは、そんな彼を退けませんでした。
すぐに完璧に変えるのではなく、職人がひび割れた器をゆっくり丁寧に直すように、時間をかけて心を整え、新しい歩みへと導かれたのです。

パウロは、その経験の中で大切な気づきを得ました。
「私は弱さを抱えたまま、神さまに助けられた手本なのだ」と。
手本とは、強いからではなく、憐れみによって立ち上がらせていただいた人こそが証しとなる。
そのように彼は語っています。

私たちも同じです。
弱さや失敗は、神さまが見捨てた証ではありません。
壊れたところにこそ、主はそっと触れてくださり、少しずつ立ち上がる力を与えてくださいます。
また、その弱さや失敗があるからこそ、主の御前にへりくだる謙遜な「信仰の姿」が与えられるのです。

新しい始まりを与えてくださるお方こそ、イエス様です。
今日も主の憐れみに支えられながら、一歩ずつ歩んでまいりましょう。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
今日の御言葉を通して、あなたの憐れみと忍耐の大きさを教えてくださりありがとうございます。
弱さを抱える私たちに、もう一度歩き出す力を与えてくださるあなたを心から仰ぎ見ます。
どうか、救い主イエス様の恵みによって、私たちの歩みを日ごとに新しくしてください。
つまずく時にも、共にいてくださることを思い起こさせてください。
イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン。

那須ステンドグラス美術館にて。