「愛と言葉の権威」
2026.2.18 伝道師 青木宗達
新約聖書 ルカによる福音書4章36節
人々は皆恐ろしくなり互いに語り合って言った。「一体この言葉とは何であろうか。イエスが権威と力とをもって命じると、汚れた霊たちが出て行く。」
(ドイツ語聖書)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
きょう与えられました聖書の箇所は「カファルナウムの会堂での出来事」です。
そこにいた人々は、目の前の光景に息をのみ、驚きのあまり互いに顔を見合わせました。
「一体、この言葉は何なんだ?」
彼らが目撃したのは、イエス様がただ「言葉」を発しただけで、一人の男を苦しめていた破壊的な力~汚れた霊が、即座に出て行った瞬間でした。
私たちの日常において、「言葉」は情報を伝えたり、時には誰かを励ましたり傷つけたりするものです。しかし、イエス様の言葉は、それらとは決定的に違いました。語られた瞬間に、その場の空気を変え、人を縛り付けている鎖を断ち切り、現実を新しく変えてしまう、生きたエネルギーそのものだったのです。
現代を生きる私たちもまた、自分ではどうにもコントロールできない心の重荷を抱えていないでしょうか。
それは、将来への漠然とした不安かもしれないし、どうしてもやめられない習慣、消えない過去の傷、あるいは「もっと頑張らなければ」という自分自身へのプレッシャーかもしれません。
「変わりたい」と願いながら、自分の意志の力だけではどうにもならず、同じ場所をぐるぐると回っているような感覚に陥ることがあります。
しかし、ここに希望があります。
2000年前に一人の男を解放したイエス様の「言葉の力」は、今も全く変わっていません。
イエス様の持つ「権威」とは、上から押さえつけるような怖い力ではありません。
私たちを不自由にさせ、本来の自分らしさを奪っているネガティブな力から、私たちを解き放つための「愛の力」です。
イエス様は、わたしたちの心の奥底にある嵐を知っておられます。
そして、その嵐に向かって「静まれ」と語りかけることができる方なのです。
わたしたちはもう、たった一人で心の葛藤と戦わなくてもよいのです。
今日、わたしたちのその重荷を、イエス様の前にそっと下ろしてみたいと思います。
お祈りいたしましょう。
天の父なる神様。
あなたの言葉には、私たちを新しくする権威と力があります。
どうか今、私たちの心にある不安や弱さに触れ、あなたからの真の平安と自由を与えてください。この祈りをイエス様の御名によってお捧げいたします。
アーメン。












