申命記6章5節
心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今月の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました月間聖句は【旧約聖書 申命記6章5節】です。
申命記6章5節は、旧約聖書の信仰理解の中心に置かれてきた言葉です。
「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」。
この一句は、神様との関係が単なる規則や義務ではなく、存在全体をかけた応答であることを示しています。
この言葉が語られた背景には、イスラエルの民が約束の地へ向かう途上にあり、信仰の形が問われていた現実があります。
彼らは多くの掟を与えられていましたが、その中心にあるのは「神様を愛すること」でした。
掟を守ること自体が目的なのではなく、神様との生きた関係が信仰の核心であることが、ここで明確にされています。
「心」「魂」「力」とは、人間を構成するすべてを指す表現です。
感情や思考、意志、霊的な深み、そして日々の生活や行動までも含んでいます。
神様を愛するとは、礼拝の時間だけで完結するものではありません。
考えること、選択すること、働くこと、休むこと、そのすべてが神様への愛の応答となっていく歩みです。
しかし、私たちは正直に言えば、この御言葉の前で立ちすくんでしまう存在でもあります。
心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神様を愛しているかと問われると、自信をもって「はい」と答えることは容易ではありません。
愛そうとする思いはあっても、自己中心や恐れ、疲れによって、神様から目をそらしてしまう現実が私たちにはあります。
それでも、この御言葉は私たちを責め立てるために与えられているのではありません。
むしろ、神様がどのような関係を私たちと結ぼうとしておられるのかを示す招きの言葉です。
神様は、部分的な従順ではなく、全人格をもって結ばれる愛の関係を望んでおられます。
そして、その愛は人間の努力だけで完成するものではありません。
新約聖書において、イエス様はこの申命記の言葉を引用し、「これが第一の戒めである」と語られました。
そしてイエス様ご自身が、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神様を愛する生を、具体的な姿として示されました。
父なる神様に完全に信頼し、従い、人々を愛し抜き、十字架に至るまでご自身をささげられたのです。
私たちは、自分の力だけで神様を愛し尽くすことはできません。
しかし、イエス様が示してくださった愛に触れるとき、私たちの内に新しい応答が生まれます。
神様に先に愛され、赦され、受け入れられているという確信の中で、少しずつ心が整えられ、魂が向きを変え、日々の歩みが神様へと向かっていくのです。
申命記6章5節は、到達すべき理想であると同時に、イエス様にあって歩み続ける信仰の道を示しています。
完全でなくてもよい。
ただ、イエス様と共に、神様を愛する歩みへと招かれている。
その恵みの中で、今日もまた、私たちは神様に向かって歩み出すことができるのです。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちに、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたを愛する道を示してくださり、感謝いたします。
自分の力では愛し尽くすことのできない私たちを、イエス様にあって先に愛し、赦し、受け入れてくださったことを覚えます。
どうか今日の歩みの中で、私たちの心と思いを整え、魂をあなたへと向け、日々の生活そのものがあなたへの愛の応答となりますように。
弱さの中にある私たちを、イエス様と共に歩ませてください。
この祈りをイエス・キリストの御名により、お祈りいたします。
アーメン。



