「神のもとに住まう喜び」詩編84編11節 ローズンゲン日々の聖句

「神のもとに住まう喜び」

2025.11.29 伝道師 青木宗達

旧約聖書 詩編84編11節

あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。 主に逆らう者の天幕で長らえるよりは わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。
(新共同訳)

わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました聖句は【旧約聖書 詩編84編11節】です。

詩篇84篇は「主の家」を慕い求める祈りとして広く愛されてきました。
この詩の中心にあるのは、神の臨在への深い寄り添いです。
詩人は「万軍の主よ、あなたのお住まいは、なんと愛されていることでしょう」と歌い、心も身も「生ける神に喜びの声をあげる」と告白します。

神の宮に近づくことは、詩人にとって生命そのものを甦らせる出来事だったのです。

詩篇84篇はまた、「巡礼の詩」とも呼ばれるように、神の家へ向かう旅路を描いています。
涙の谷を通りつつも、主に心を向ける者は力を与えられ「ますます力を増し」ながら進みます。
神の臨在に向かう歩みの中でこそ、人は希望を与えられ新しい力をいただく。
そう詩人は証しします。

そのクライマックスとも言えるのが、今日の11節です。
「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」
ここで語られるのは、量ではなく“質”の違いです。

神のそばにある一日の重みは、この世の長い時をはるかに超えて尊い。
詩人はさらに言います。
「門口に立つだけでいい」。
これはへりくだりではなく、神の臨在に触れることこそが最大の幸いであるという、揺るぎない信仰告白です。
神から離れて長く生きるより、一瞬でも神に近い方が良い。
この言葉には深い真理が宿っているのです。

そして、この詩篇の願いは最終的に、私たちをイエス様へと導きます。
詩人が慕い求めた「主の家」「神の庭」は、イエス・キリストにおいて最も深く現れました。
イエス様こそ、神の臨在そのものであり、私たちを父のもとへ導くお方です。
私たちはもはや“門口に立つだけ”の者ではなく、イエス・キリストにあって神の家族とされ、神の家の中へ招き入れられています。

どうか今日、あなたの心もまた、神の臨在を慕い求める詩人の祈りと重なりますように。
そして「イエス様のもとにとどまる一日」は、まさに千日にまさる恵みとして、あなたを包み、導き、力づけてくださいますように。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
あなたの家にとどまる一日の恵みを思い起こさせてくださり、感謝いたします。
どうか、私たちの心をいつもあなたの御前へと向け、主イエス・キリストの導きのうちに歩ませてください。
弱さの中にもあなたの力を見いだし、今日の歩みをあなたに委ねます。
すべてを御手にお委ねして、主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。

那須ステンドグラス美術館にて。