「友と呼んでくださる方」ヨハネによる福音書 15章11節 ローズンゲン日々の聖句

「友と呼んでくださる方」

2026.2.9 伝道師 青木宗達

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章11節
私の命じることを行うならば、あなたがたは私の友である。(イエス・キリストの言葉)
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

天地を造られた神様が、私たち人間を「友」と呼んでくださる。

これほど驚くべき、身に余る光景があるでしょうか。
主従関係ではなく、心を許し合う親しい友として、イエス様は私たちを招いておられます。

ここでイエス様が言われる「私の命じること」とは何でしょうか。
それは、決して私たちを縛り付ける厳しい規則のリストではありません。
この箇所のすぐ前の文脈で、イエス様はこう語られました。
「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」。
これが主の命令です。

 私たちは時として、「神様の期待に応えなければ愛されない」と勘違いしてしまうことがあります。しかし、順序は逆です。主がまず、十字架にかかるほどの愛をもって私たちを愛し抜いてくださいました。その圧倒的な愛に心が動かされ、「この方の喜ぶことをしたい」と願う心が湧き上がってくる。その愛への応答として、私たちは隣人を愛し、主の言葉に従うのです。
義務ではなく、喜びをもって従う時、私たちは本当の意味で主の友とされています。

 今日、あなたの置かれた場所で、小さな愛の種を蒔いてみてください。
誰かに優しくすること、赦すこと、祈ること。
私たちが愛に生きようとする時、そこには孤独はありません。
なぜなら、最高の友である方が、すでにあなたの横におられ、その愛で包んでくださっているからです。

私たちのために命を捨ててくださった、真実な友なるイエス様を見上げて、今日という一日を歩んでまいりましょう。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちを友と呼び、先に愛してくださった深い恵みを感謝いたします。
どうかわたしたちがその愛に満たされ、義務ではなく喜びをもって、互いに愛し合うことができますように。
この祈りを、主イエス・キリストの御名により御前にお捧げいたします。
アーメン。