「イエス・キリストは主である」
2026.4.1 伝道師 青木宗達
新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章11節
すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白して父なる神が崇められるためです。
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日の聖書の言葉は、キリストの愛の歩みを美しく歌い上げた「メシアの詩」のクライマックスです。
パウロはこの手紙の少し前で「イエス様のように、へりくだった思いやりのある心を持ちましょう!」と語りかけました。
そして、「すべての人が『イエス・キリストは主である』と告白すること」こそが、神様の最大の夢であり願いなのだと教えます。
「主(しゅ)である」と言うと少し難しく聞こえるかもしれませんが、これはイエス様に自分の人生の「リーダー」や「指揮者」になっていただく。
ということです。
私たちの人生をオーケストラに例えてみたいとおもいます。
実は、以前の私は、自分で指揮台に立ち、すべてを自分の思い通りに進めようと必死でした。
でも、自分の力だけではどうしても空回りしてしまい、すっかり疲れ果ててしまった時期がありました。
その時、思い切ってイエス様に指揮棒をお渡しし、「今日から、あなたが私の指揮者~主です!」とお任せしてみました。
すると不思議なことに、ギリギリに張り詰めていた心にフワッと平安が広がり、温かい愛のハーモニーが私の人生に響き始めたのです。
過去にどんな不器用な歩みや失敗があっても、「イエス様、私の人生を導いてください」と素直に言えるなら、その人はもう神様に愛された立派なクリスチャンなのです。
今日、わたしたちのことを誰よりも大切に思っておられ、愛してくださるイエス様に、人生のバトンを、あらためてお渡ししてみたいと思います。
一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
今日、イエス様を私の人生の優しいリーダーとしてお迎えします。どうか私の歩みを導き、あなたの温かい愛と平安で満たしてください。
この祈りを、主イエス・キリストの名によって祈ります。
アーメン。
【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ピリピ』(ヨルダン社)
・シュラッター『新約聖書講解10』(新教出版社)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・朝岡 茂『ピリピ』(いのちのことば社)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)




