「わかっているのに、できない~私に注がれる恵み」ローマの信徒の手紙 7章24-25節 ローズンゲン日々の聖句

「わかっているのに、できない~私に注がれる恵み」

2025.3.20 伝道師 青木宗達

新約聖書 ローマの信徒への手紙 7章24-25
私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救ってくれるでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します。
(協会共同訳聖書)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日、与えられました聖書の箇所は、協会共同訳聖書では「内在する罪の問題」という小見出しがついています。

 パウロがこの手紙を書いた時代、人々は神様の与えた律法、ルールを厳しく守ることで、正しい人間になろうと懸命でした。

パウロ自身も誰より熱心なエリートでしたが、彼はある衝撃的な事実に直面します。
それは、正しいことを「したい」と願っているのに、実際には「したくない」悪いことをしてしまう自分自身の姿でした。
この7章の文脈全体を通して読むと、彼が自分の中に深く根付く「自分の中にある罪の問題」に気づき、深くもがき苦しんでいたことが痛いほど伝わってきます。

 これは決して、2000年前の特別な人の話ではありません。
わたしたち自身の日常にも深く重なります。
たとえば、「今日こそは家族に優しく接しよう」と心に決めたはずなのに、忙しさや疲れが溜まると、ついイライラしてキツい言葉をぶつけてしまう。
頭では分かっているのに、心が言うことを聞かないのです。
そのたびに、「私はなんてダメな人間なんだろう」と激しい自己嫌悪に陥り、自分の情けなさに一人で涙した夜が何度もありました。
みなさまも同じような経験があるのではないでしょうか?

パウロの「私はなんと惨めな人間なのでしょう」という悲痛な叫びは、まさに私自身の痛みを伴う心の叫びそのものです。

しかし、パウロの言葉は絶望では終わりません。
「私たちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」と高らかに宣言します。
自分の力で自分を良くしようとする努力の限界を知り、完全に白旗を揚げたとき、私たちは初めて救い主を見上げることができます。
私たちの弱さも醜さもすべてご存知のうえで、十字架で命を捨てるほど愛してくださったのはイエス様です。
自分の無力を認めてすべてを委ねたとき、あふれるようなキリストの恵みが私たちの内側に流れ込み、内側から少しずつ、しかし確実に私たちを造り変えてくださるのです。

今日も、ありのままの自分の弱さを持って、イエス様の御手に委ねていきたいと思います。。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
どうにもならない私の弱さと自分本位な心を、そのままあなたの前に差し出します。
どうかイエス様の十字架のあたたかい愛で包み込み、今日を新しく歩む力を与えてください。
主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。