「主の光に導かれて、まことの道へ」詩編43編3節 ローズンゲン日々の聖句

「主の光に導かれて、まことの道へ」

2025.12.1 伝道師 青木宗達

旧約聖書 詩編43編3節

あなたの光とまことを遣わしてください。 彼らはわたしを導き 聖なる山、あなたのいますところに わたしを伴ってくれるでしょう。
(新共同訳)

わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました聖句は【旧約聖書 詩編43編3節】です。

詩編43編は、前の42編と深くつながっている詩です。
どちらにも「なぜ、お前はうなだれているのか。神を待ち望め」という言葉が繰り返されています。
詩人は、外の敵による苦しみと、内側に沈んでしまう心との間で、苦しみながら揺れ動いていました。
神様が遠く感じて、祈りが届いていないように思える。
そのような経験を、私たちもすることがあると思います。

その中で詩人は、こう祈るのです。
「あなたの光とまことを遣わしてください」。
ここでの「光」とは、ただ暗闇を消してほしいという内在的な願いではありません。
神様ご自身の導きと、あたたかさを求める超越的な祈りです。
「まこと」とは、変わらない神様の真実、私たちを見捨てない神様の姿なのです。
つまりは、状況の変化を願う前に、まず神様ご自身が共にいてくださることを求めているのです。

そして詩人は続けます。
「彼らはわたしを導き、聖なる山、あなたのいますところへ伴ってくれるでしょう」。
「光」と「まこと」が導く先は、どこでしょうか?
それは、神様と出会う礼拝の場です。
問題がすべて解決してから礼拝に向かうのではなく、むしろ苦しさのただ中で神のもとに帰る。
そのとき、人はもう一度、神様から立ち上がる力をいただきます。
礼拝とは、状況を変える前に神様の御前にすすみ、神様によって心が変えられることなのです。

42篇と43篇の詩人は、自分の魂に向かって語りかけています。
「なぜうなだれているのか。神を待ち望め」。
不安や孤独に押しつぶされそうなとき、信仰者は自分の心に向かって、神の真実を思い起こします。
これは弱さを否定するのではなく、弱さの中で神にすがる姿なのです。

そして現代の私たちは、詩人が求めた「光」と「まこと」を、イエス・キリストのうちに最もはっきり見ることができます。
イエス様は「世の光」として来られ、迷う者を父なる神へと導き、「まことの道」となってくださいました。
闇の中にある者を決して放っておかれず、十字架と復活によって確かな救いを示してくださったのです。

今日、私たちも詩人と同じ祈りをささげます。
「主よ、あなたの光とまことを私に送ってください」。
その祈りに真実に応えてくださるのは、今も生きておられる主イエスキリストなのです。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
あなたの光とまことを、今日も私たちの歩みに送ってください。
心が沈むときも、あなたが共におられることを思い起こさせてください。
すべてを御手にお委ねして、主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。

那須ステンドグラス美術館にて。