「神様への心の向き」コリント人への手紙 第二 9章6節 ローズンゲン日々の聖句

「神様への心の向き」

2025.12.23 伝道師 青木宗達

新約聖書 コリント人への手紙 第二 9章6節
惜しんで僅かに蒔く者は、僅かに刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るのです。
(協会共同訳)

わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました御言葉は【新約聖書 コリント人への手紙 第二 9章6節】です。

この御言葉を聞いて、こう思われる方がいるかもしれません。
「献金をたくさんすればよいのか?」
違います。
「奉仕をたくさんすれば良いのか?」
違います。

パウロが語っているのは、量の多さや成果の大きさではありません。
神の前に、どのような心で生きているのか、その「姿勢」が問われているのです。
神は、私たちの行いを点数のように数えておられる方ではありません。

「蒔く」とは、お金や奉仕の回数だけを指す言葉ではありません。
誰かのために時間を使うこと、心を込めて祈ること、傷ついた人に寄り添うこと、赦すこと。
そうした日々の小さな選択すべてが含まれています。
私たちは不安になると、つい自分を守ろうとして惜しんでしまいます。
しかし、神を信頼して差し出されたものは、すぐに目に見える結果がなくても、神の御手の中で確かに用いられていきます。

この生き方を、最もはっきりと示されたのがイエス・キリストです。
イエス様は、何かを得るために命を与えられたのではありません。
父なる神を信頼し、愛ゆえに、ご自分を惜しまず差し出されました。
その道は十字架という苦しみを通りましたが、神はそこに復活という命の実を結ばせてくださいました。

私たちが「豊かに蒔く」ことができるのは、すでに神から豊かに恵みを受け取っているからです。
恐れや義務感からではなく、イエスに結ばれて生かされている安心の中で生きるとき、私たちの小さな蒔きものは、神の国の実りへとつながっていきます。

今日、イエス様と共に歩む者として、どのような心で、何を蒔くように招かれているのか?
静かに主の前で受け取りたいと思います。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちが恐れや義務感からではなく、あなたへの信頼と感謝をもって歩むことができますように。
イエス・キリストに結ばれ、日々の小さな歩みをあなたに委ねることができますよう導いてください。
主イエス様の御名によってお祈りいたします。
アーメン。