「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな!」
2026.3.28 伝道師 青木宗達
新約聖書 ルカによる福音書 17章15節
しかし、規定の病に罹っていた十人の男たちのうちのひとりは、自分が癒されたことを見て取ると、引き返して来て、大声で神を賛美した。
(ドイツ語聖書)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日の与えられました聖書の箇所は、協会共同訳では「規定の病を患っている十人の人を清める」という小見出しがついています。
ルカによる福音書17章を開くとき、私の心はいつも心が締め付けられる感覚になります。
当時、彼らが患っていた「規定の病」は、単なる肉体の病ではありませんでした。
この「規定の病」については、レビ記13章45-46節に詳しく記されていますが、それは家族や社会から完全に隔離され、孤独の中で生きることを強いられる、絶望の病だったのです。
すべてを失い、社会の隅に追いやられていた10人の男たちは、イエス様に出会い、奇跡的に癒やされました。
しかし、私がここでハッとさせられ、深い痛感を覚えるのは、大声で神を賛美し、引き返してきたのが「たった一人」だったという事実です。
身近な例で考えてみたいと思います。
わたしたちが一生懸命に直した「壊れたおもちゃ」を、子どもが大喜びで受け取り、そのまま自分の部屋へ走って行ってしまうことがあります。
直してくれた大人の顔、親の顔を見て「ありがとう!」と言うことすら忘れてしまうほど、目の前の喜びに夢中になってしまうのです。
戻ってこなかった9人も、きっとそうだったのでしょう。
癒やされ、愛する家族の元へ帰れるという目の前の喜びに夢中になり、その恵みを与えてくださった方自身を忘れてしまったのです。
正直に言えば、私自身のこれまでの歩みを振り返っても、苦しい時には必死に神様にすがりつきながら、問題が解決した途端に神様のことなど忘れて自分の生活へと駆け出してしまう未熟さがあることを痛感します。
私たちは、目に見える恵みには感謝できても、その恩恵をすぐに忘れてしまう人間の弱さがあります。
神様がひとり子イエス様を十字架にかけ、私たちのために与えてくださったという「最大の恵み」に対して、感謝を忘れてしまうことがあるのではないでしょうか。
だからこそ、この御言葉が、今深く心に響きます。
「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
(詩篇103篇2節)
戻ってきた一人の男は、ユダヤ人ではなく、忌み嫌われるサマリヤ人という異邦人でした。
サマリヤ人の彼は、皮膚がきれいになった事実以上に、自分のような者を受け入れてくださった、目の前におられるイエス様の「愛」そのものに触れました。
イエス様は、私たちの抱える問題をただ処理するためだけに来られたのではありません。
わたしたちを深く愛し、心を通わせる親しい関係を築くために、ご自身の命を懸けて来てくださったのです。
私たちも今日、与えられた恵みを握りしめて走り去るのではなく、立ち止まってイエス様のもとへ引き返したいと思います。
主の愛の御顔を見上げて「ありがとうございます」と伝える。
その人格的な交わりの中にこそ、私たちの魂の本当の癒やしと平安があると思うのです。
今日という日、感謝して神様に寄り添い共に過ごしたいと切に願います。
一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
日々の生活の中で、あなたの豊かな恵みに気づき、立ち止まって感謝することができますように。主の良くしてくださったことを何一つ忘れず、今日もイエス様の愛の御顔を仰ぎ見ながら共に歩ませてください。
この祈りを、主イエス・キリストの名によって祈ります。
アーメン。
【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ルカ福音書』(ヨルダン社)
・矢内原忠雄『ルカ伝 下巻』(角川書店)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『旧約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)












