「新しい生き方への招き」
2026.2.15 伝道師 青木宗達
新約聖書 エフェソの信徒への手紙 4章32節
互いに親切で憐れみ深いものとなり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日、与えられました聖書の御言葉ですが、協会共同訳聖書には「新しい生き方」という小見出しが付けられています。
古い自分を脱ぎ捨て、神様にある新しい歩みを始める時、その中心にあるのは「互いへの関わり方」です。
聖書は私たちに、単に争いを避けるだけでなく、一歩踏み込んで「親切」にし、「憐れみ深く」あるようにと勧めています。
しかし正直なところ、自分を傷つけた人を赦し、愛することは、私たちの自然な感情だけでは到底及ばないことのように思えます。
自分の力だけで愛そうとすれば、いつか心が折れてしまうと思うのです。
パウロはここで、私たちが互いに赦し合うための唯一の、そして揺るがない根拠を提示します。
それは「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださった」という事実が先にあるからです。
私たちが立派な人間だから赦されたのではありません。
私たちがまだ神様に背を向け、弱さを抱えていた時でさえ、神様はその豊かな恵みによって、一方的に私たちを赦し、受け入れてくださいました。
私たちが何かを行うよりも前に、まず神様が愛してくださったのです。
この圧倒的な愛を体験した者として、今度は私たちがその愛を、周りの人たちへと届けていくよう招かれています。
完全でなくても良いのです。
今日、あなたの近くにいる誰かに、ほんの少しの優しさを向けることから始めてみましょう。
もし感情が追いつかない時は、その痛みをそのまま神様にゆだねて祈ってみてください。
私たちの罪のために砕かれ、十字架の上で尊い血を流されたイエス様。
その死によって私たちは赦され、新しい命に生かされています。
この贖いの愛以外に、私たちが立ち上がる理由はありません。
すべてを投げ打ってあなたを愛し抜かれたイエス様の十字架を見上げ、その真理に立って、今日の一歩を共に踏み出しましょう。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
あなたがまず私を赦してくださったその深い愛に感謝します。
どうか私たちの心を満たし、イエス様の十字架にならって互いに優しくし、赦し合う力を与えてください。
イエス・キリスト様の御名により祈ります。
アーメン。









