「キリストにあって、つくられましたよ。」
2026.2.28 伝道師 青木宗達
新約聖書 エフェソの信徒への手紙 2章10節
私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。それは、私たちが善い行いをして歩むためです。
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
主の年、2026年2月も最後の日となりました。
カレンダーを見て「えっ、もう2月が終わるの!?」と焦ってしまいました。
まだ寒い日も多く縮こまってしまいますが、肩の力を抜いて、一緒に神様の言葉に耳を傾けていただけたら嬉しいです。
今日与えられた御言葉は、エフェソの信徒への手紙2章10節です。
少しわかりずらく感じるので、現代訳リビングバイブルでの箇所をご紹介いたします。
「私たちをこのように造り変え、キリスト・イエスによる新しい生活に入れてくださったのは神です。この新しい生活は、神がずっと以前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためでした。」
いかがでしょうか?
少しわかりやすくなりました。
この2章には協会共同訳聖書では「死から命へ」という小見出し、またリビングバイブルでは「恵みによる救い」という小見出しがついています。
かつてのわたしたちは、自らの弱さの中に沈んでいましたが、神様はイエス様の十字架の恵みにより、私たちを無条件の愛で「神の作品」として新しく造り変えてくださいました。
「死から命へ」。
私はこの言葉から子供の頃を思い出します。
小学校低学年の頃から「人はなぜ生き、なぜ死ぬのか」と考えていました。
夜になると「この世界が今無くなったら、ぼくは死ぬ!いやだ!こわい!あー!!」と、一人布団にこもり恐ろしさに震えていたのです。
しかし、今の私には確信があります。
その死の先にも明るい希望があるのだと。
私を暗闇の恐怖から救い出し、確かな命の光を与えてくれたのはイエス様でした。
現代社会では「何ができるか」という成果や能力で評価しがちです。
しかし、私たちは「何かをしたから」ではなく、まず「神の最高傑作」として愛されているのです。
神様が準備された「善い行い」とは苦しいノルマではありません。
わたしたちがイエス様の愛で満たされ「死から命へ」とされた時、自然と愛の歩みをはじめるのです。
わたしたちはイエス様にあって造られた、世界にただ一つの神様の作品です。
死の恐怖を打ち破るイエス様の命が、わたしたちの中に、いつも息づいています。
その希望の光に包まれて、神様が用意してくださった「今日という道」を共に歩んでいきましょう。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
私をあなたの作品として造り、命の希望へと移してくださった恵みを感謝します。
今日、イエス様と共にある喜びに満たされ、愛の道を歩めますように。
イエス・キリスト様の御名により祈ります。
アーメン。










