「あなたの隣に隠された主」
2026.2.6 伝道師 青木宗達
新約聖書 マタイによる福音書 25章45節
そこで、王は答える。「よく言っておく。この最も小さな者の一人にしなかったのは、すなわち、私にしなかったのである。」
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日、与えられました聖書の箇所は、少しドキッとするような場面です。
世界の終わりの時、王である神様が判決を下す場面ですが、叱責された人たちは「悪いことをした」からではなく、「すべき愛を行わなかった」から裁かれています。
彼らは驚いて言います。「いつ、私たちがあなたを助けなかったのですか?」
彼らは、目の前の困っている人と、栄光の王とが結びついているとは夢にも思わなかったのです。
私たちは、しばしば、信仰を「内面的な平安」や「教会の中だけのこと」として捉えがちです。
しかし、神様の愛は、私たちの心の内に留まるものではありません。
神様の愛は、必ず外へと溢れ出し、具体的な形をとります。
それは、特別な偉業を成し遂げることではなく、目の前にいる「最も小さな者」
孤独な人、悲しんでいる人、助けを必要としている人に、無関心でいないということです。
愛の反対は憎しみではなく、無関心だからです。
「私にしなかったのだ」という王の言葉は、厳しい裁きであると同時に、驚くべき真理を私たちに教えています。
それは、神様が遠い天の上にだけおられるのではなく、今、私たちの隣にいる最も弱い立場の人の中に「隠れて」おられるということです。
すべての人を救わなければならないのではありません。
ただ、あなたの生活の場に遣わされた一人ひとりに、小さな親切や温かい眼差しを向けること、それがすでに神様への礼拝なのです。
なぜなら、私たち自身もかつては罪の中にあり、誰よりも「小さな者」「助けを必要とする者」でした。
そんな私たちのために、天の栄光を捨てて最も低くなり、十字架にかかってくださったお方こそが、イエス様だからです。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
罪ある私たちのために低くなり、愛し抜いてくださったことを心に留めます。
その恵みに押し出され、私たちも愛の歩みへと踏み出すことができますように。
すべてを御手にお委ねして、主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。











