「五つのパンと二匹の魚」マルコによる福音書 6章41-44節 ローズンゲン日々の聖句

「五つのパンと二匹の魚」

2026.1.29 伝道師 青木宗達

新約聖書 マルコによる福音書 6章41-44節
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで祝福し、パン裂いては、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆にお分けになった。人々は皆、食べて満腹した。そして、パン切れと魚の残りを集めると、十二の籠いっぱいになった。パンを食べた人は、5000人であった。
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日、与えられました聖書の箇所は、聖書協会共同訳において「5000人に食べ物を与える」という小見出しが付けられた、私たちにとって特別な意味を持つ物語です。
というのも、イエス様が行われた数ある奇跡の中で、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四つの福音書すべてに記されている出来事は、「5000人の給食」だけだからです。
それほどまでに、この出来事は初代教会のクリスチャンたちにとって忘れがたく、また福音の本質を語る上で欠かせない重要なメッセージであったことが分かります。

 当時、人里離れた荒れ野に集まった大群衆を前に、弟子たちは途方に暮れていました。
彼らの手元にあったのは、五つのパンと二匹の魚だけ。
大人数を前にしては、あまりにも無力で、絶望的にさえ思える少なさでした。
私たちの日々の生活や信仰の歩みにおいても、同じような思いを抱くことはないでしょうか。
「私にはこれだけの能力しかない」
「私の信仰はこんなに小さい」
「直面している問題に対して、手持ちの解決策があまりに乏しい」
自分の無力さや欠乏を前にして、心が縮こまってしまう瞬間です。

しかし、イエス様はその「わずかなもの」を無視したり、捨てたりはなさいませんでした。
イエス様は、弟子たちが差し出したその小さなパンと魚を御手に取り、天を仰いで祝福されました。
ここで大切なのは、無から有が生み出されたのではなく、弟子たちが「持っているもの」をイエス様に委ねたとき、神様の祝福によってそれが「皆を満たすもの」へと変えられたという点です。
私たちが自分の小ささを認め、それでも精一杯のものを主に差し出すとき、主はそれを祝福し、裂き、私たちの想像をはるかに超える方法で用いてくださるのです。

人々は皆、食べて満腹しました。
さらに残ったパン屑を集めると、十二の籠がいっぱいになりました。
主の恵みは、私たちの必要をギリギリ満たすだけでなく、溢れ出るほどの豊かさを持っています。
イエス様は、私たちの肉体の飢えも、心の渇きも、霊的な欠けも、すべてをご存じで、その全存在を養ってくださるお方です。

イエス様こそが、私たちの人生の「足りなさ」を「溢れる恵み」へと変え、真の満腹を与えてくださる命のパンなのです。

わたしたちの手元にあるすべてのものを、信頼してイエス様の御手に委ね、主と共に今日という一日を歩んでまいりましょう。

天の父なる神様。
私たちの持ち物はわずかですが、この身と心をあなたの御手に委ねます。
どうかこれを祝して用い、私たちの足りなさをあなたの豊かさで満たしてください。
主イエスキリストの御名により、お祈りいたします。
アーメン。