「霧の中で見上げる信仰」
2026.1.27 伝道師 青木宗達
新約聖書 ヤコブの手紙 4章13-15節
よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。
(新共同訳聖書)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
皆さんは、将来の計画を立てるとき、どんな気持ちになるでしょうか。
「来年はあそこに行って、こんな仕事をしよう」。そうやって夢を描くのは素晴らしいことです。けれど、今日の聖書箇所で、神様は私たちに少し立ち止まるようにと語りかけておられます。
聖書は、私たちの命を「現れては消える霧」のようなものだと言います。朝の冷気の中に白く浮かび、日が昇れば跡形もなく消えてしまう霧。それが、私たちの本当の姿です。
少し儚く聞こえるかもしれませんが、これは決して「人生は虚しい」と言っているわけではありません。「明日のことは、自分の力ではどうにもできないのだ」と認めること。それが、神様の前での正直なあり方だからです。
私たちが今、こうして呼吸をしていること、明日を迎えられること、そのすべては当たり前のことではなく、神様が「生きよ」と生かしてくださっているからに他なりません。
ですから、「主の御心であれば、これをしよう」と語ることは、人生のハンドルを自分の手から神様の手にお返しする、信頼の証なのです。
明日のことが分からなくて不安になる時こそ、イエス様を見上げましょう。
かつてイエス様は、死の不安の中で「わたしの思いではなく、御心のままになさってください」と祈り、すべてを父なる神様に委ねられました。
このイエス様こそが、霧の中のような不確かな時代にあっても、変わらない確かな光です。
私たちの命の主であるイエス様の手を握りしめ、今日という一日を大切に歩んでまいりましょう。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
霧のように儚い私たちですが、今日生かされている恵みに感謝します。
自分の力を誇ることなく、主の御心に委ねて歩むことができますように。
主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。




