「救われた私たちの歩み」テサロニケの信徒への手紙二 2章16-17節 ローズンゲン日々の聖句

「救われた私たちの歩み」

2026.1.5 伝道師 青木宗達

新約聖書 テサロニケの信徒への手紙二 2章16-17節
私たちの主イエス・キリストご自身と、私たちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵によって与えてくださった、私たちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い行いをし、善い言葉を語る者としてくださいますように。
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 テサロニケ人への手紙第二2章16–17節は、信仰を歩み始めたばかりの人にとって、何度も思い出したい大切な祈りの言葉です。

パウロは、「こうしなさい」と命じる前に、まず神様がすでに私たちに何をしてくださったのかを語ります。
「私たちを愛して、永遠の慰めと確かな希望を恵みによって与えてくださった」とあります。
信仰とは、頑張った人だけが手に入れるご褒美ではありません。
弱さや迷いを抱えたままの私たちを、神様が先に愛し、支えてくださっているところから始まります。
だから、うまく祈れない日があっても、信仰に自信が持てない時があっても、私たちはすでに神様の愛の中に置かれているのです。

 神様が与えてくださる「慰め」と「希望」は、心を休ませるだけで終わりません。
それは、私たちの心を静かに励まし、少しずつ前を向かせてくれます。
その結果として、日々の生活の中で、善い言葉を語り、善い行いを選び取る力が与えられていきます。
大きなことができなくても構わないのです。
誰かを思いやる一言。
誠実な態度。
小さな親切。
などなど。
それらすべては神様の恵みに生かされた大切な「証し」であり「歩み」なのです。

「救いに選ばれた者の生き方」と呼ばれるのは、特別な人の話ではなく、信じて生きようとするすべての人の日常を指しているからです。
信仰とは、完璧になることではなく、神様に支えられながら歩み続けることなのです。

そして、その中心におられるのがイエス様です。
イエス様は、私たちの弱さを知り、共に歩んでくださる方です。
イエス様につながり、その恵みに生かされながら、今日も一歩ずつ歩んでまいりましょう。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちを先に愛し、慰めと希望を与えてくださることを感謝いたします。
日々の歩みの中で、イエス様につながり、善い言葉と善い行いを選び取ることができるよう、私たちの心を励まし、強めてください。
イエス様のお名前によってお祈りいたします。
アーメン。

テサロニケの夕暮れ風景。