「こどものように賛美する信仰」
2025.11.30 伝道師 青木宗達
新約聖書 マタイによる福音書21章15-16節
しかし、祭司長、律法学者たちは、イエスがなされた不思議なわざを見、また宮の庭で「ダビデの子に、ホサナ」と叫んでいる子供たちを見て立腹し、 イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
(新共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました聖句は【新約聖書 マタイによる福音書21章15-16節】です。
エルサレム神殿に、にぎやかな声が響いていました。
主イエスのご臨在に心を奪われた子どもたちが、喜びのままに「ダビデの子にホサナ」と叫んでいたのです。
しかし、その純粋な賛美は、権威ある大人たちにはかえって不快に聞こえました。
大人たちは秩序を重んじ、理解できる言葉だけを「正しい信仰」とみなしがちだからです。
しかし、主イエスは、子どもたちの声を退けず、むしろ「幼な子の口に賛美を備えられた」と語られました。
それは、神の恵みが人間の思考や資格によって制限されるものではなく、むしろ小さき者、心を開いた者のうちに豊かに働くという真理を示しているのです。
子どもたちはイエスの働きを理屈で理解していたわけではありません。
彼らはただ、目の前で起こる神の御業に心を奪われ、自然に賛美が溢れていったのです。
人間の内側に備えられた霊の感受性。
それに素直に応答するとき、私たちは神の前でまことに自由とされます。
私たち大人は、経験や知識によって信仰を捉えようとしますが、いつしか「正しさ」にとらわれ、主の恵みを単純に受け取る力を失ってしまうことがあります。
神は、特別に力ある者や優れた者を求められるのではありません。
むしろ、幼子のように「信頼して身を委ねる心」のうちに、ご自身の働きを現されます。
主イエスの前に立つとき、私たちに必要なのは、複雑な理解よりも、神を神として信じる柔らかな心です。
ですから、今日の御言葉は、私たち自身にこう問いかけます。
「あなたの心にも、子どものような賛美は残っていますか」。
忙しさの中で評価に縛られた生き方から一歩離れ、主の御業を素直に喜ぶ感性を取り戻しなさい。
主イエスはそう招いておられるのです。
自分の力や義に頼まず、ただ神の恵みに応答する者こそ、神の国に生きる者とされます。
幼い声を退けず受け入れられた主イエスは、今日も私たちの小さな祈り、小さな賛美、小さな信仰を尊いものとして受け止めてくださいます。
どうか私たちが、子どもたちのようにまっすぐに、主の御前に立ち続ける者となりますように。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
幼子の賛美を受け入れてくださる神様。
知識や不安に縛られる私たちにお憐れみください。
私たちの心にも、素直にあなたを信じる信仰を与えてください。
すべてを御手にお委ねして、主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。

川奈ステンドグラス美術館にて。







