2026年 年間聖句「見よ、私は万物を新しくする」ヨハネの黙示録21章5節

2026年 年間聖句 ヨハネの黙示録21章5節
「見よ、私は万物を新しくする」
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今年の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました年間聖句は【新約聖書 ヨハネの黙示録21章5節】です。

 「見よ、私は万物を新しくする。」
この言葉は、ヨハネの黙示録の終盤、新しい天と新しい地が示される場面で語られています。
黙示録と聞くと、多くの人は、裁きや終末、恐ろしい幻を思い浮かべるかもしれません。
しかし、聖書における黙示文学は、人々を恐れさせるために書かれたものではありません。
むしろ、迫害や混乱の中で希望を見失いかけていた信仰者たちに、「神様のご計画は決して途切れていない」ということを示すために語られた言葉です。

 黙示文学の特徴は、現実の背後にある「神様の真実」を、象徴や幻を通して示すところにあります。
目に見える世界だけを見れば、悪が勝利しているように思えるときがあります。
しかし、黙示録は、神様の視点から世界を見直すように私たちを招きます。
そして、その頂点に置かれているのが、「万物を新しくする」という神様の宣言なのです。

ここで語られている新しさは、世界を一度破壊して別のものに作り替えるという意味ではありません。
神様の新しさとは、壊れたものを見捨てるのではなく、回復し、完成へと導く新しさです。
涙が拭われ、死が力を失い、もはや悲しみが支配しない世界。
その幻は、単なる空想ではなく、神様の確かな約束として示されています。

 私たちが生きる現実には、今も痛みや不正、分断があります。
自分自身の歩みを振り返っても、「もう変わらない」と感じてしまう弱さがあるでしょう。
しかし、黙示録の言葉は、そのような現実を否定するのではなく、現実の只中で語られています。
だからこそ、この言葉は力を持ちます。神様は、混乱のただ中にいる私たちに向かって、「見よ」と呼びかけられるのです。

 聖書全体を通して、神様の救いは、常に関係の回復として描かれてきました。
神様との関係、人と人との関係、そして被造物との関係。罪によって歪められたそれらを、神様は忍耐強く回復してこられました。
「万物を新しくする」という約束は、その救いの物語が、最後に確かに完成することを示しています。

同時に、この新しさは、遠い未来だけの話ではありません。
神様は、今を生きる私たちの内側から、新しい命の働きを始めてくださいます。
心が整えられ、価値観が変えられ、愛する力が育てられていく。
その歩みはゆっくりかもしれませんが、確かに前へと進められています。

 この希望の中心におられるのが、イエス様です。
イエス様は、十字架において、この世界の罪と痛みを引き受けられました。
そして復活によって、黙示録が語る「新しい世界」が、すでに始まっていることを示されました。
黙示録の幻は、イエス様の十字架と復活を抜きにしては理解できません。

「見よ、私は万物を新しくする。」
この言葉は、終わりの恐れを語る言葉ではなく、始まりを告げる言葉です。
2026年を歩む私たちは、この約束を携えて生きていきます。
世界がすぐに変わらなくても、神様の働きは止まっていません。
イエス様に結ばれて生きるとき、私たちの人生もまた、新しくされ続けます。

その希望の中心に、今も生きて私たちと共におられる、イエス様がおられます。
2026年、新しい年のはじまりと共に、今日の聖句を年間聖句として、日々、覚え歩んでまいりましょう。

恵み深い天の父なる神様。
「見よ、私は万物を新しくする」と語ってくださるあなたの御言葉に、心から感謝いたします。
私たちは弱く、歩みの途中で立ち止まり、希望を見失いそうになることがあります。
それでも、あなたは私たちを見捨てることなく、今日も新しい命の働きを進めてくださっています。
どうか、イエス様の十字架と復活によって示された希望を、私たちの心に深く刻んでください。
この一年の歩みの中で、あなたの恵みに信頼し、愛と平和をもって生きる者としてください。
すべてを新しくしてくださる主に期待して、私たちの救い主、イエス様のお名前によってお祈りいたします。
アーメン。