「ゆるしあう心」エペソ人への手紙 4章32節 ローズンゲン日々の聖句

「ゆるしあう心」

2025.12.20 伝道師 青木宗達

新約聖書 エペソ人への手紙 4章32節

互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。
(新改訳2017)

互いに親切で憐れみ深い者となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
(協会共同訳)

わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

今日の「ローズンゲン日々の聖句」より与えられました御言葉は【新約聖書 エペソ人への手紙 4章32節】です。

私たちは日々の生活の中で、「親切にしたい」「赦したい」と思いながらも、心が追いつかない場面に何度も出会います。

言葉に傷つき、態度に失望し、赦すことがかえって自分を弱くするように感じることもあるでしょう。
パウロはその現実を知らないまま、この言葉を語ったのではありません。

ここで語られている親切や赦しは、人間的な努力や性格の良さから生まれるものではありません。
むしろその根拠は、「神が、キリストにおいて、あなたがたを赦してくださった」という一点にあります。
私たちが誰かを赦す前に、すでに神が私たちを赦しておられる。この順序が、信仰の中心です。

私たちはまず、神の前で赦される必要のある者として立たされています。
自分の正しさではなく、弱さや限界を抱えたまま、それでも受け入れられている存在です。
その事実に触れるとき、他者に対するまなざしが少しずつ変えられていきます。
赦しは命令である前に、神の恵みによって可能にされる応答なのです。

その恵みを具体的に示されたのが、イエス様です。

イエス様は、赦されるに値しないと思われていた人々のただ中に立ち、罪を指摘するより先に、共に生きる道を示されました。
十字架において、赦しは言葉ではなく、命をもって差し出されました。

私たちが互いに親切であろうとするとき、また赦し合おうとするとき、それはイエス様の生き方に結ばれていく歩みです。
完全にはできなくても、つまずきながらでも、神様が先に与えてくださった赦しに立ち返るとき、私たちは再び愛へと招き直されます。
今日もその恵みの中で、一歩を踏み出してまいりましょう。

お祈りいたします。
天の父なる神様。
自分の力では難しいときにも、イエス様の恵みによって、互いに親切で、赦し合う歩みへと導いてください。
今日の一日を、あなたの平和のうちに歩ませてください。
イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。