「イエス・キリストに用いられる器として」ローマの信徒への手紙 15章18節 ローズンゲン日々の聖句

「イエス・キリストに用いられる器として」

2026.3.30 伝道師 青木宗達

新約聖書 ローマの信徒への手紙 15章18節
(パウロの手紙)私は、キリストが私を通して働かれたこと以外は、何も話そうとは思いません。キリストは異邦人を従順へと導くために、(私の)言葉と行いを通して働かれました。
(協会共同訳聖書)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 今日与えられた聖書の箇所には、「宣教者パウロの使命」というテーマが掲げられています。
今から約2000年前、パウロという人がいました。
彼は、キリストの愛と教えを世界中に広く伝えた「すごい働き人」として大変有名です。
ローマ教皇の「パウロ〇世」というお名前も、このパウロに由来しています。

 そんな偉大なパウロですが、彼は自分の手柄を自慢することは決してありませんでした。

「私は、キリストが私を通して働かれたこと以外は、何も話そうとは思いません」
(ローマの信徒への手紙15章18節)

パウロは「自分がこれだけ頑張った」のではなく、「イエス様が自分を素晴らしい形で使ってくださった」ということを一番に伝えたかったのです。

これは、パウロが残した別の言葉
「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」
(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)
という言葉の通りです。
イエス様がいつも心の中にいて、一緒に生きてくださっているという温かい実感ですね。

 身近な例で考えてみたいと思います。
大工さんが家を建てるとき、ノコギリやトンカチなどの道具を使います。
道具が勝手に動いて家を建てるのではなく、大工さんの手の中で大切に使われるからこそ、立派な家が完成します。
私たちも同じです。
私たちは、偉大な大工であるイエス様に大切に握られる「み手の器(道具)」なのです。

 私自身、これまで「自分には能力がない」と悩み、たくさん失敗もしてきました。
だからこそ、今こうして発信しているメッセージも、ホームページも、YouTubeの動画も、決して自分の力だけでできているとは思えません。
弱くて不完全な私をあえて用いて、イエス様が「ご自身の働き」として形にしてくださっているのだと、心の底から実感しています。

 信仰は、自分の力で無理に「がんばる」ことではありません。
ため息をつくような日があっても良いのです。
わたしたちを深く愛しているイエス様が、「あなた」というかけがえのない大切な器を今日も優しく握ってくださり、わたしたちの人生を通して、あたたかい愛の働きを行ってくださいます。

 今日、イエス様に用いられる期待を胸に、私たちのために備えられた「恵み豊かな道」をご一緒に歩んでまいりましょう。

一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
不完全な私たちを、あなたのための器として用いてくださり感謝します。
今日も私たちの内に生き、あなたご自身が働いてください。
主イエス・キリストの御名により祈ります。
アーメン。

【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ローマ』(ヨルダン社)
・岸義紘『ローマ人への手紙 新約聖書注解書シリーズ』(JTJ宣教神学校)
・NTD新約聖書註解『ローマ人への手紙』
・『ジョン・ウェスレー説教53』(イムマヌエル綜合伝道団)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)