「ホサナ!エルサレムに入城されるイエス」ヨハネによる福音書 10章30節 ローズンゲン日々の聖句

ホサナ!エルサレムに入城されるイエス

2026.3.29 伝道師 青木宗達

新約聖書 ヨハネによる福音書 12章13節
(群衆は)なつめやしの枝を持って(イエスを)迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように/イスラエルの王に。」
(協会共同訳)

 わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。

 本日、2026年3月29日は「棕櫚の主日」です。
ヨハネによる福音書12章のこの場面には、協会共同訳で「エルサレムに迎えられる」という小見出しがつけられています。

 この当時、イスラエルの民はローマ帝国の圧政下で苦しみ、圧倒的な力で国を解放してくれる強い英雄を渇望していました。
人々は勝利と喜びの象徴であるなつめやしの枝を振り、「ホサナ」と叫びます。
「ホサナ」とはヘブル語で「どうか、今、お救いください」という、切実な魂のSOSです。

しかし、イエス様は「戦いの象徴である屈強な軍馬」に乗ってではなく、「平和の象徴である小さなろば」に乗って来られました。
ここにメシア預言の鮮やかな成就があります。

ゼカリヤ書9章9節
「娘シオンよ、大いに喜べ。娘エルサレムよ、喜び叫べ。あなたの王があなたのところに来る。彼は正しき者であって、勝利を得る者。へりくだって、ろばに乗って来る。雌ろばの子、子ろばに乗って。」(協会共同訳)

 そしてもう一つ、私がこの場面を読むたびに胸を熱くしてやまないのは、イエス様がオリーブ山を下り、「東の門」を通って入城されたという事実です。
エゼキエル書43章には「主の栄光は、東に向いている門を通って神殿に入った」という預言があります。
イエス様のこの歩みは、かつて神殿を離れた神の栄光が、キリストという生けるお姿をとって再び来られたことの完全な成就だと私は信じています。

 現在、エルサレムの東の門は歴史の不思議な巡り合わせによって石で固く塞がれていますが、それは
「主がここから入られたから(閉ざされたままでなければならない)」(エゼキエル書44章2節)
という御言葉を、時を超えて静かに証明しているかのようです。
神様は武力による支配ではなく、十字架へと向かう柔和な自己犠牲の愛によって、まことの「平和の支配」をもたらすために来られました。

 これを私たちの日常に置き換えてみたいとおもいます。
日々の仕事や人間関係の重圧、あるいは深い孤独に押しつぶされそうで、「誰か助けて」と心の中で叫びたくなる夜はないでしょうか。
そのような時、イエス様は土足で私たちの心に踏み込むようなことはなさいません。
ろばに乗るような謙遜さで、私たちの心の「東の門」の前に静かに立ち、私たちが自ら内側からドアを開くのを待っておられるのです。

 私たちが自分の弱さをありのままに認め、「ホサナ(お救いください)」とイエス様をお迎えする時、私たちの心の奥底で温かな変革が始まり、状況に左右されない本当の平安が訪れます。
今日、この平和の王であるイエス様を、わたしたちの人生の中心に喜びをもって、今一度お迎えしようと思います。

一言お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちの魂のSOSに耳を傾け、柔和な愛をもって来てくださることを感謝します。
どうか今、私たちの心の王としてあなたをお迎えし、あなたの豊かな平和で満たしてください。
この祈りを、主イエス・キリストの御名により御前にお捧げいたします。
アーメン。

【参考文献】
・ウィリアム・バークレー『ヨハネ福音書(下)』(ヨルダン社)
・村上久『ヨハネの福音書』(いのちのことば社)
・ヘンリー・H・ハーレイ『聖書ハンドブック』(いのちのことば社)
・『新約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『旧約聖書略解』(日本基督教団出版局)
・『聖書辞典』(日本基督教団出版局)