「私が憐れみを受けた理由」
2026.2.10 伝道師 青木宗達
新約聖書 テモテへの手紙一 1章16節
しかし、私が憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまず私に限りない寛容をお示しになり、この方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。(パウロの手紙)
(協会共同訳)
わたしたちの父なる神と、主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなたがたにありますように。
今日のわたしたちに与えられました聖書の箇所は、テモテへの手紙一1章16節です。
協会共同訳聖書では、この箇所を「神の憐れみに対する感謝」という小見出しが付けられています。
かつて教会を激しく迫害していたパウロは、自分自身を「罪人の中でも最悪の者」と振り返りました。しかし、そのような彼があえて選ばれ、深い憐れみを受けたのには、大きな理由がありました。それは、後に続く私たちが、神様の「限りない寛容」を知るためです。
神様の愛は、私たちの行いの良し悪しや、信仰の熱心さといった「実績」によって左右されるものではありません。私たちが神様に背を向け、自分の力だけで生きようとしている時でさえ、神様は先回りして愛を注ぎ、驚くべき忍耐をもって待っていてくださいます。
パウロという一人の人間が劇的に変えられた事実は、私たちが「このような私でも赦され、愛されているのだ」と確信するための、生きた証拠、お手本として残されました。
ですから、自分の弱さや過去の失敗を恥じる必要はありません。
あなたが神様の愛を受け入れ、赦されて生かされているその姿そのものが、今、悩みの中にある誰かにとっての「希望」となり、誰かを救いへと招く光となるからです。
さあ、今日も私たちのために忍耐し、変わらぬ愛で包み込んでくださる方を見上げましょう。
私たちに永遠の命への確かな道を開いてくださった、イエス様を信じて、共に歩んでいきましょう。
お祈りいたします。
天の父なる神様。
私たちが、自分の弱さではなく、あなたの愛に信頼して歩むことができますように。
そして、私たちが赦されて生きるその姿が、誰かにとっての希望の光となりますように切に願います。
主イエスキリストの御名により祈ります。
アーメン。







